as red flag - reviews about game

under chequered flag

NOV.19.2010

もうひとつのF1 2010


 右手親指第一関節の内側と中指・薬指の第一関節が痛い。
 というのも故なきことではなく、ここのところずっとPS3『F1 2010』をステアリングコントローラで遊び続けているからで、まあコンマ1秒、コンマ05秒削れ、とばかりに各グランプリのフリー走行・予選・決勝を延々と走りこんでいればあっというまに4時間くらいは経っている暇人プレイ全開中なのだが、わたしはどうもほとんど右手主導でステアリングを握っているらしく、ステアリングの内側にひっかけた親指と裏側に回した中指・薬指の先で路面からの入力が(擬似的に)伝わってくるのを力いっぱい抑えこんでいるうちに指のほうが悲鳴を上げたということのようである。指を反らせて中指と薬指の先だけ机に押しつけて力を加える動作を何時間も続けているところを想像してほしい。
 とくにCareerモード1年目のロータス時代はほんとうに辛かった。グリップもダウンフォースもなにもかもが足りず、ほんの少しラフな操作をするだけでいきなりスピンモードに突入してしまうし、ストレートも遅いからポジションを守るにはぎりぎりまでブレーキングを深くして、それでいながらぴったりのターンインを探らなければいけない。そこで暴れるクルマをおとなしくさせるには指先に力を込めて細かく細かく操舵するほかなく、1グランプリを走り終わるころには疲労困憊となってしまう。先日東京から出雲まで850kmを一気に走った時の方がまだ楽だった気さえする。
 ただしそこはゲーム、新興チームといえども現実ほど厳しい戦いを強いられることはなく、カナダGPでウエットコンディションとなってスピードレンジが下がったこともあって見事ポール・トゥ・ウィンを飾るど、いくつかの報いもあった。ありがとう雨。結局1年目は117ポイントでドライバーズランキング7位、ミハエル・シューマッハを上回ったことでシーズンの終わりにメルセデスから声がかかり(しかし追い出されたのはニコ・ロズベルグだった……)、2年目は開幕4連勝でチャンピオンシップを鋭意リード中である。MGP W01はストレートスピードやステア/ペダル操作に対する反応、リアのスタビリティなど何から何までロータスT127とはまったく別次元で運転しやすいことこの上なく、しょせん擬似的なゲームでの体験ではあるものの下位チームのドライバーは本当に大変なのだなとしみじみヤルノ・トゥルーリに同情心を抱きつつ走りこみを続けたいところなのだが、しかしわたしのほうにも事情はあり、人事部にたしなめられて期間ギリギリで取った夏休みはもう終わってしまったのだった。今後長い時間はやりこめまいし、慣れてきてギアセレクトをオートマチックからマニュアルに替えたためにステアリングを握りこまずパドルに指をかけるようになって指先の負担も減った。痛みも早々に治まるだろう……と言って最近ケガの治りが遅いのも悩ましかったりして、ようするに年をとると心の傷は早く癒えるが体の傷はなかなか治らないという西原理恵子のありがたきお言葉を噛み締めなければならなくなりつつある年頃になったのである。

 ゲームというのは、その擬似性とは裏腹に意外なほど身体の具体的な痛みを伴うものだ。そりゃあ何時間もやれば目は乾いて頭も痛くなってくるし、おなじ姿勢でいるうちに体が固まって節々が軋むのも珍しいことではないだろうが、そういうIT技術者も直面しそうな体の凝り以上にゲーム的な痛みはあって、たとえばファミコン世代の人ならば現在『ゲームセンターCX』で有野晋哉が「親指痛い」と言っていることを引き金として自分の左手の親指が十字キーの形にへこんでいた記憶を蘇らせることができるだろう。指先でセコセコとなにかを動かしていると、指の関節や筋肉はどんどんきしんでいく。わたしの場合は左手親指の第一関節に硬いタコができて遊びすぎたと思ったものだ。「ゲームばっかりやって」と親から怒られるとき、そこには「外で走りまわる」ということとの対比があるけれども、そんなわかりやすい筋肉の痛みとは別にゲームは体を痛めつけてくれたものだ。
 まだデバイスの側に「人間工学」なんて発想がほとんどなかったころ、たとえばファミコンのコントローラなんかはひどく扱いにくい代物だった。薄いとか軽いというのは概ね電子機器に対する褒め言葉だが、それにも限度があるのであって、あのコントローラは「薄すぎ、軽すぎ」た。AボタンとBボタンを行ったり来たり連打しているうちに右手親指付け根の筋肉がつったり、有野が21世紀になってもしょっちゅう親指を痛めたりしているのは、コントローラが軽薄(文字どおり)で力が適度に分散しないために荷重が手指のほうにダメージを与えてしまうからだろう。基礎の基礎部分では設計の変わっていないPS3コントローラの、しかしなんと持ちやすいことか。
 ただ、今にして思えばあの痛みこそがゲームで遊んだという実感を下支えしていたのも間違いない。薄すぎるコントローラで親指を痛めることはファミコンとともにあり、アーケードゲームのスティックは左手の中指と薬指(人によって違うとは思う)の間にできるタコによってその存在感を発揮していた。またわれわれは初めて遊んだスーパーファミコンの、なによりも両手の人差し指で押されるL・Rボタンの感触に革新性を感じ、そしてやっぱり押しすぎで手を痛めた。そういうことがゲームだった。わたしはゲームという「営み」はソフトではなくハードとともにある――われわれはときどきくらい「ファミコン」の思い出を語れる――と確信しているが、痛みは痛切であるがゆえにゲームがたしかに営為であることを象徴してくれる。
 だが人間工学的に快適なコントローラを持つことで、あの特有だった痛みはもちろん薄れていく。昔すべてのボタンを片手で押せるように配置した「『ダービースタリオン』専用コントローラ」みたいなものまであったが、あれはあれで面白かったものの、快適さとの引き換えに印象の褪色を引き起こしたりもするのだろう、どうもあのコントローラそのものにまつわる記憶は定かでない。「〈ファミコンで〉遊んだ」という実感の一部分があの薄っぺらいコントローラが引き起こす痛覚にあったとするなら、快適さは記憶から感触ばかりを確実に削ぎ落としてしまう。ゲームがつまらなくなったとするなら、ゲームで痛まなくなったことと少しくらい重なる部分があるのかもしれない。
 その点で、体感型のコントローラはなにかを操作することの困難をダイレクトに体に伝えてくれるから、ハードとしての機能性が高い。ゲームの出来が少しくらい悪くたって、体感型にするとそこそこ遊べてしまう。すくなくとも『F1 2010』を買うまでのわたしは最近半日ぶっ続けでゲームをやるなんてことはなかったし、通常のPS3コントローラで遊んでいたらそこまでしていたかどうかも怪しい。バルセロナのターン15を立ち上がろうとしてスナップオーバーを出してしまい、ステアの手応えが消えたのを感じ取って反射的にアクセルを戻しながらカウンターを当てる刹那に噴き出る汗、そこでタイムを失ったという紛れもない自覚。あるいはイスタンブールのターン8を一定の舵角を保ちながら一気に駆け抜けてあっさりとコンマ3秒を稼ぎ出したときの高揚感。鈴鹿の130Rを全開で抜けるための正しいターンイン、そんなことを果てしない周回のなかで反復するうちに体が痛んでいくのだが、それはやはりステアリングコントローラというハードウェアに付随する感覚なのだ。
 擬似的な経験と、それを踏み越えてくるかのような体の痛みが合わさったとき、ゲームという営みは完成するだろう。そのことをいま一番よく表現してくれているのは、ステアリングコントローラのような「仮想よりもちょっと現実に寄った」体感デバイスだろうという気がしている。レースゲームでの経験は、もちろん本当のレースとは違う種類のものだが、だからこそ実感できるのは「ゲーム」の部分なのだ。レースをやって指が痛い。こんな矮小で痛快なズレ方などそうそうないではないか。


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