FEB.8.2011
佐藤琢磨のキャリア
インディカー・シリーズでは、F1のヒーローの一人(F1→インディ/CARTと活動の場を移したドライバーの中で彼のF1実績はかなりの上位である)としてアメリカに渡ったものの、昨季期待されていたほどの成績を残せず終えていた佐藤琢磨のKVレーシング・テクノロジー残留が決まった。F1時代からストーブリーグでなかなかシートが決まらずファンをやきもきさせてきたドライバーだったが、結局アメリカでも年明け2月までチームとの契約に漕ぎつけられなかった。残念ながら現状はそんな評価ということである。今季は後のない戦いが続くだろう。
佐藤琢磨は魅力的なポイントの多いドライバーだが、同時に欠点も多い。とくに昨季あらわになった問題は対応力であり、端から見るかぎり周囲の情報を感知しそれをパフォーマンスとして出力する能力が他のドライバーに対し相対的に低い、あるいはドライビングエラーに起因するクラッシュの多さを鑑みるに、情報を把握する能力自体をやや欠いているようにも思える。たとえばインディデビュー戦となったサンパウロのスタート直後には埃が舞って前が見えなくなるほどの路面状態で不用意に深く進入、ブレーキの当てすぎからリアを破綻させてスピンを招き、続くセント・ピーターズバーグでは激しいポジション争いでタイヤがグリップを失うなか直角の4コーナーのアプローチで不必要なほどインを閉め、曲がりきれずノーズからタイヤバリアに突っ込んだ。
カンザスでの武藤英紀とのクラッシュは仕方ない面もあったし、チームメイトのマリオ・モラレスに幅寄せを食らったトロントでの過失はさほどでもないと思うが、2010年の佐藤が喫したクラッシュの責任はおおむね彼自身に帰結する。予選自己最高の3番グリッドからスタートしたミッドオハイオでも、チームのピット作業ミスでポジションを下げたあと、焦るあまりかスコット・ディクソンとのバトルでインに入り込みすぎ、グリーンゾーンを突っ切る失態を演じている。オーバルでの空力傾向を掴みきれず、タービュランスに巻き込まれてアウトに流れ、マーブルに乗って壁の餌食、というシーンもあった。ベストの状態ならとことん速いが、タイヤが温まる前や使い切った後、または路面状態が悪いなどグリップの低いシチュエーションとか、空力特性が変化しやすい混戦の中では極端にミスの確率が高くなる。バトルでインサイドに固執し自爆することも少なくない(2005年日本GPでヤルノ・トゥルーリのトヨタTF105に突っ込んだシーンなど、思い出されていいだろう)。そのあたりが状況対応力に欠くという印象を強めている。
予選でしばしば快走を見せるのはさすがではあるものの、裏を返せばクリーンでなければ走れないということでもある。クルマをつくり、サーキットに合わせこんでくる能力も低くないのだが、それをドライビングに活かすことができない。レースを始めたのが遅く、経験が浅いことが影響しているのかもしれないが、何にせよクラッシュの多さは致命的だ。「佐藤琢磨は金のかかるドライバー」というのは定評として彼の周りを覆っている。彼を雇うオーナーは修理代のソロバンを弾きすぎて腱鞘炎になることくらい覚悟しなければならないだろう。いつまでトップフォーミュラのドライバーとして走っていられるのか懐疑的に思われても、直言すれば、終わったドライバーと見られても仕方ない。
だが--。これほど冷静に見たつもりでもなおわたしは、そしておそらく日本のモータースポーツファンの多くは、佐藤琢磨への期待を捨てきれずにいる。佐藤にこのままキャリアを終えてほしくないと願っている。その願いはたぶん、おなじくF1のシートにいた中嶋一貴や山本左近に対する声援よりもはるかに痛切なものだ。小林可夢偉がザウバーと契約を結んだとき、「日本人で初めて実力でシートを勝ち取った」と言われていたのを思い出すが、しかし実のところ、それはもともと佐藤琢磨に対する言葉だったはずだ。たしかに佐藤の背後にはいつもホンダがいて、トヨタ撤退後の小林とは比べものにならないほど強力なバックアップがあった。だが佐藤はただむやみに支援でゴリ押しされているわけではなく、モータースポーツの母国イギリスのF3でチャンピオンとなり、マカオGPまで制して、エディ・ジョーダンに認められたドライバーだった。ミカ・ハッキネンを超え、アイルトン・セナに並ぶ実績――佐藤琢磨は、日本が初めて手に入れた「王道を歩んでF1に辿りついたドライバー」だったのである。それはホンダエンジンであらゆるサーキットを席巻しながら、しかしポディウムに日の丸を掲げられない「モータースポーツ後進国」が喉から手が出るほど欲したものだった。
いまから振り返れば、たしかにF1で佐藤は輝けなかった。ジョーダン・グランプリからメインスポンサーが離れ、資金が一気に枯渇した年に加入するというタイミングの悪さもあった。開発力を欠いたクルマは速いとは言えず、トラブルも頻発してルーキーには酷な環境で戦わざるをえなかった。ザウバーにいたフェリペ・マッサと大差ない扱いだった当時の状況を鑑みるにつけ、あのときの歯車のわずかなズレが増幅して、F1での成功の可能性がスポイルされてしまっただけのようにも思える。ミスが多いと批判されもしたが、と同時に彼の責任ではないはずのメカニカルトラブルにも数え切れないほど見舞われた。走ることだけに純粋になれない時期は、たしかに少なからずあった。
佐藤がパドックでポジティヴに前を向きつづけられたのは、B.A.Rホンダが好調だった2004年の一時期と、スーパーアグリF1が奇跡のお伽話を紡いだ2007年だけだったかもしれない。多くの時間は自分のミスや、関知できないトラブルで失ってしまっていた。ジャンカルロ・フィジケラやジェンソン・バトンといった手ごわいチームメイトを上回ることもできなかった。F1で成功できなかった多くのドライバーの一人として歴史に小さく収めても、別段おかしなところがあるわけではない。彼が持っていた記録はほとんど、枕詞が「「日本人」最高」だったに過ぎないのだから。
ただ、長い失望の狭間にあったわずかながらのポジティヴな時期に表彰台に立ち、フロントローに並び、フェルナンド・アロンソのマクラーレンをぶち抜いてしまったから、われわれは佐藤琢磨を諦められずにいる。幾度となく失望させられながら、ときに捨て去ることを惜しいと思わせるほど煌く才能の片鱗。佐藤はその一瞬の輝きだけで、われわれを何年も引きつけてしまう。そういうドライバーなのだ。ずっと粗削りのまま、もはや磨かれることもかなわない原石だとどこかでわかっているはずなのに、心だけは奪われる。
日本人が佐藤を見捨てられない理由に、彼のキャリアを日本のモータースポーツの興隆に重ねあわせているから、日本人としてそれを否定されたくないのだ、という意地悪な見方を当てはめることはたぶんできるし、それはそれでそう間違ってもいないだろう。だがそんな屈折したコンプレックスを脇に置いても、昨季3位に飛び込んだミッドオハイオの予選や、また逆に予選を失敗したインディ500の決勝序盤で素晴らしいペースを刻みながらポジションを上げつづけたあの走りを見れば、佐藤に消すには忍びない光を感じ取ってしまうのも事実なのだ。そこに希望はあるのだと思わずにいられない瞬間が、佐藤琢磨のドライブには必ず潜んでいる。あるいはその、もしかすると虚構かもしれない瞬間だけを頼りに、彼はキャリアを重ねることができたのではないだろうかと思うほどに。
証明されぬ才能。佐藤琢磨にはそんな皮肉が似合ってしまう。彼はいつだって結果を渇望され、がむしゃらに走っていくつかミスを犯す。それが限界なら諦めもつくのに、ときどき垣間見せるその速さに彼が湛える能力の底知れなさを覗いたような気がして、目をそらすことができなくなる。そして--振り出しに戻る。佐藤琢磨を追うということは、きっとその繰り返しに身を委ねることなのだ。
実際、日本のファンが2002年に抱いていた彼に対する期待感と、いま2011年に抱いているそれは、質も量もたぶんほとんど変わっていない。われわれは相変わらず彼のまだ見ぬ才能を疑わず、トップフォーミュラのレースで最初にチェッカーフラッグを受ける可能性を信じ、最高のチームで走る資格があると考えている。彼がエディ・ジョーダンと握手を交わしたときに託された希望は、叶うこともなく、しかし完全に否定されきることもなく、いまだ宙に浮いて漂ったままだ。あれから9年が経ったのに、彼をとりまく空気だけがまったく時を刻んでいない。変わったことといえばカテゴリーがF1からインディに移り、「最高のチーム」の想定がマクラーレンやフェラーリからチップ・ガナッシかペンスキーになった程度のことである。失望の間に絶妙なタイミングで歓喜を挟みつづけたことで、佐藤琢磨はドライバーとしてのキャリアを延命したが、しかし同時にその実像について明快な答えは導けなくなってしまった。
だが猶予も終わる頃合いだ。アメリカのフォーミュラは若年化が進むF1に比べてはるかに年齢層が高いが、それでもキャリアの晩年と言って差し支えない歳になり、今季低迷すれば次のレギュラーシートは望みにくい。F1に居場所を失い、インディからこぼれおちれば浮上のチャンスは限りなく小さくなる。そうなれば彼は「世界の」ドライバーではなくなってしまうに違いない。だが逆にいままでかけらでしか見られなかった才能の全貌を披露できれば、曖昧な期待感だけをもたらすのではなく、正真正銘インディのトップドライバーとして戦えるだろう。われわれは、この1年が過ぎたあとに佐藤琢磨というドライバーを先延ばしにせず受け止める覚悟を決めなくてはならない。9年、十分な時間だ。そういう時期が来ているのだと思う。